キリンとキリン

なんかよくわからない

真意が届くのか

こんにちは。

キリンとキリンです。

 

あーそういう時期ってあったなー。

私は「想いは伝わる」ってことをあまり考えなくなってきました。正確にいうと「真意」が伝わるのかってことなんですが。

 

有安さんが写真を撮り、それを見て感想を伝えることがあるのですが、有安さんの真意を読み取ろうとしてコメントしてしまったらそれは答え合わせになると思ってしまうんです。見た側が感じたことが見た人の本当の自分であって、感想だと思うから。

 

写真って撮る側の真意と見る側の感想が一致するとは限らないと思うんです。というか単純にいいな!と思って撮ったくらいの写真ならいいな!って思ってくれればいいけど、何かしらのメッセージ性を帯びた瞬間に伝わるかどうかスキルや感性の要素が大きくなると思う。

 

よく有安さんが歌で「想いを伝えたい」とか「離れている人にも届けたい」と言う。そう思うことは尊いと思うし素敵なことだと思う。しかし私はもうそういう気持ちの時期は過ぎてしまった。

それは私の魅力不足ゆえに受け手に真意が伝わらないことが多く、伝えよう伝えようと一緒懸命に成る程だんだん受け手が素人だからわかってくれない!とイラついていることが嫌だったからです。

 

私の大好きなミュージシャンにマイケル・ジャクソンがいて、彼は『マン・イン・ザ・ミラー』という曲を歌っている。その歌詞が「世界を変える?いやそれなら鏡の中の男。そうつまりは自分が変わらなきゃダメだ」というフレーズがある。聴いていた時はふーんくらいの感覚で聞き流していましたが、ある日ふっと入り込んできたの覚えています。

 

届けたい伝えたいという気持ちが悪いわけではないけれど、恐らく有安さんの言っている部分に何割か【私をわかってほしい】があると思う。

 

有安さんは純粋に伝えたいと思っているかもですが、いつの日かその想いが自分自身を苦しめてしまうんじゃないかな?と自分の経験で思ってしまうんです。

 

有安さんが今の本当の心境は有安さん本人にしかわからないと思うが、伝わらないことに絶望することなくもがき苦しみ試行錯誤しながら自分なりの落とし所を見つけ出し、出かける前に自分の好みの洋服を着て誰かに「それいいじゃん!」と言われるような届けるというより惹きつけるような表現が来るのかなーと

 

私と有安さんは別の人間。歩んできた道のりも違う。周りにいる人たちも違う。だからこそ有安さんがどんな表現にたどり着くのか興味津々。

 

届けるのか惹きつけるのか

 

はたまた違った魅力を醸し出すのか

 

そんなことが楽しみな今日この頃