外してみたらキズだらけ
風が心地いので夜道をココロノオト版の「裸」を聴いて歩いてる。いつものことながら、私はココロノオト版の「裸」が未熟ゆえの摩擦熱や音が好きで事あるごとに聴いてしまう。特に夜に聴く「裸」は最高で部屋ではなく街中を歩きながら聴いてしまう。
ふっとTシャツカット疑惑の件が頭をよぎった…
ブロック祭りとかも元ファンが騒ぎ始めて荒れている…
何だかなぁ…
色々と誤解ばかりおきてるなぁ…
こんな騒動で私は有安さんのこと嫌ったり見切りつけることはないが、有安さんは大丈夫なのかな?と。
噂で聞いた「大人は信じられない」も噂であってほしい
こんなことをグルグルと考えていたら私の何かが「裸」とリンクし始めた。
あぁ。ココロノオト版の「裸」はシールド外して人と過ごせたらいいのになぁという願望のような唄い方で、サクライブ版の「裸」はシールド外して自分の価値観で発信してみてるけど、なかなか上手くいかないぁ…と同じ「裸」なんだけど経験があるか無いかで唄への情感が変わっているのか。ってことは今これだけ誤解やアンチの粘着により荒れている時間を過ごしているんだから来年のサクライブ2020は「裸」が更に変わってくるってことか。
シールド(世間が求めている有安杏果像)外して自分が今感じていることを自分の言葉で行動で表現し、自分が思っている以上に世間に受け入れられないもどかしさ。
これが更なる「裸」のへんかになるんだろうな。
そんなこと思い始めたらサクライブ版の「裸」がなんだか愛おしくなり有安さんは生きてるなぁとしみじみしてしまった。
頑張っても上手くかないとき一息ついてリラックスが大事なことはわかっている。でも時には共感して自分だかが上手くいってないわけじゃないよねと思いたい時はある。
「裸」という曲は有安さんと過ごすことで毒にも薬にもなるんだなと再確認できた。
きっと私的に「裸」はお酒に近いのかもしれないな。
と、秋の夜道は情感モードになりやすいのである。