キリンとキリン

なんかよくわからない

上手くいかないから輝く

先日TwitterのTLで偶然見かけた「印籠」の話。

点と点が繋がるいい体験できた。

 

話は簡単で、とある外国人が日本人の友人に聞いた。

外「印籠持ってる人が悪いことしたらどうするの?」

日「印籠持った人は悪いことしないんだよ。」

外「そんなことあるわけない!」

 

なんてことないやりとりだが、この話は日本人の思考がまんまでてる。

 

正義の側は過ちを犯さない。

 

どんな人でも悪いことしたら贖罪をし悔い改めるという文化の人からしたら、どんな人間も過ちを犯すことはある。しかし懺悔し悔い改めるという考えがある。人は完璧では無いから。

昔からそうだが近年の日本ではなかなか許すということができないように感じる。だから悪いこと自体しない。過ちを犯すかもしれないからやらない。だからこそ悪いことした人をいつまでも許さない。まるで罪人に刺青入れるような感じ。

 

こういう思考が元にあるからか外国人はチャンスにチャレンジしなかったら叱る。チャレンジして失敗することに怒らないことはないが許すという着地がある。

いっぽう日本人はチャンスに確実を求めるからかチャレンジしない。チャレンジし失敗しようものならガンガン怒られる。いつまでもネチネチ言われる。そりゃ萎縮してしまう。

 

だからなのかチャレンジしない人ほど完璧な人や才能溢れている人が好き。

 

 

人は完璧じゃない

許すということ

愛するということはその人を受け入れるということ。

けっして理想どうりの完璧じゃなくても

 

そしてこの数日ブログに書き残してある「裸」という曲。これは愛の歌なんだなって

 

この曲を生み出してもらう前に有安さんは小谷さんに感じていることを深い部分まで話したのかな?

 

"誰かに愛されたい

誰かを愛したい

誰かに打ち明けたい

誰かを信じてみたい

誰かに許されたい

誰かを許してみたい"

 

この辺りが3年前の有安さん自身が感じる足りないと思う部分であり、なりたい自分の一部なんだろうな。

 

愛というと彼氏とイチャイチャをイメージしてしまう人っているだろうけど、そういうことではなく完璧じゃない人も受け入れるという精神的な部分。不完全な人や物事に不安を感じるのかもしれないけど、その不安の中に許しが芽生えれば付き合えるようになり、完璧だけでなく不完全な部分も楽しめるようになるのかもな?完璧には面白さではなく安心が多い。

 

近頃の有安さんをみていると、自分の言葉を発し自分の思考で行動している。なかなか世間の求めている言動行動と比べてしまうと上手くいかないことばかりだけど、最善は選べずとも最悪なわけではない。チャレンジをすることにトラブルはつきもの。ミスを叩いていてもしょうがない。懺悔するほど迷惑かけたら謝るべきだけど、謝ったらやらないではなく工夫してクリアするポジティブさでいてほしいな。

 

正義の側も過ちを犯すかもしれない。と

過ちを許すことという点がバチーッと繋がる楽しさがあった。

 

やっぱり「裸」は有安さんが唄うから愛の歌になるわけで、私にとって有安さんは完璧じゃないからこそ「裸」はいい曲でい続けるのです。